寺田真治はこっそりと席を立ち、大きな注目を集めることはなかった。彼はもともと匿名で来ていたのだから。
しかし、会場では寺田凛奈のこのレースが大きな反響を呼んでいた。
藤本凜人と寺田凛奈がレーシングカーから連れ立って現れ、レース場を出るやいなや、渡辺光祐たちが迎えに来た。光祐の友人がすぐに口を開いた。「ねえ姉さん、あなた一体誰なの?こんなに凄いなんて!あのスピード、あの角度、あの目の付け所、まさに天才だよ!」
寺田凛奈は何も言わず、視線を渡辺光祐に向けた。普段は高慢で、彼女を見るといつも冷たい目つきをしていた少年の目に、今は熱い光が宿っているのが見えた。
彼はまだ黙っていて、口数は少なかったが、態度は明らかに変化していた。
彼女のことを認識したのだろうか?
彼女は杏のような目で渡辺光祐に一瞥をくれ、それから外したヘルメットを彼に投げた。「これ、持って帰って」
このぴっちりとしたレーシングスーツも着心地が良くない。彼女はそう言い残して休憩室に向かい、元の黒い服に着替えた。
休憩室から出てくると、ちょうど篠崎冠介も歩いてきて、渡辺光祐と話をしていた。
彼は光祐の肩を叩き、大笑いしながら言った。「寺田さんは本当に神がかっていますね。いつも人々に驚きを与え、世界のことなんてたいしたことないと思わせる」
渡辺光祐はうなずいた。「うん、彼女はすごいよ」
篠崎冠介は光祐に目配せし、普段は大きな声だが今は意図的に声を低くした。「君、彼女がYanciだって知ってるだろ?」
渡辺光祐は肯定も否定もしなかった。
篠崎冠介はそれで何かを理解したようで、すぐに自分の額を叩いた。「本当だ。そういえば以前、僕はYanciとの方が君より親しいって言ったことがあるけど、まさか君たちが本当の家族だったなんて!今思えば、本当に恥ずかしいよ!」
渡辺光祐:「……」
彼は言いにくかった。自分も今さっき、この姉がYanciだと知ったばかりだということを。
寺田凛奈が近づいてくるのを見て、渡辺光祐は急いで手にしていたヘルメットを差し出した。
寺田凛奈:「家まで持って帰ってくれる?」