「秀次、約束した金魚だよ」雪里は嬉しそうに北原秀次に大きな目玉の金魚を渡した。これは露店の主人が売っていた「珍品」で、今は直接雪里にプレゼントされたものだ。
その金魚は袋の中でぼんやりと尾を振っていたが、北原秀次は受け取らなかった。こんなものを何に使うというのだろう?
しかし彼は笑って言った。「お店で飼おうか」。命あるものだし、金魚すくいはよく批判されるのは、多くの魚を死なせてしまうから——多くの人が捕まえた後どうするか考えずに遊んでしまうのだ。
雪里は嬉しそうに頷き、袋越しに金魚と少し遊んだ後、左右を見回して、北原秀次の袖を引っ張って小さな足取りで走り出した——浴衣と下駄を履いているのでこれしかできない——「もうすぐ時間だよ!秀次、花火を見に行きましょう。いい場所を知ってるの」
お盆の行事とはあまり関係ないように思えるが、日本のお盆には確かに花火を打ち上げる。これは徳川幕府第八代将軍が始めた良い習慣だ。当時大飢饉が起こり、人肉食の事件が多発した。翌年のお盆に、この将軍は餓鬼が人を食べることに味をしめて、また肉を求めることを防ぐため、花火を打ち上げて悪鬼を追い払うよう命じた。この習慣は今日まで続いている。
もちろん、現代では亡くなった人々と共に楽しむという意味になり、人を...お化けを追い払うという意味合いはなくなった。そして集団で開催され、三日間続けて打ち上げられ、十六日の未明に死者がナスに乗って黄泉に帰るまで続く。その時には山焼きも合わせて行われ、道中の親族(親鬼)を妖怪や魔物が襲わないよう追い払う——地域によって風習は異なり、関中このあたりは木造建築が多いため川沿いで行われ、九州では墓地で行われる。
雪里は北原秀次を引っ張って高台に着いた。ここからは遠くの小川が見え、花火見物には絶好の場所だった。すでに多くの人が集まっていたが、北原秀次が別の場所を探そうとした時、雪里はすでに彼を引っ張ってその群衆の方へ向かっていた。「あは、ずっと見かけないと思ったら、ここにいたんだ!」
そこにいたのは半大の男子学生たちで、おそらく今来たばかりのようで、地面に大きな毛布を敷いていた。果物などを抱えている者もいたが、雪里を見るとすぐに手にしていたものを置き、一斉に喜んで駆け寄ってきた。「姉さん!姉さん!」