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Chapter 5 - 燔祭

ちゃりん、ちゃりん。規則的な金属音が鳴り響く。

ステンレスの小さなプレートがぶつかり合う音。ひとりの男が取り出してはため息をついて、またクッキー缶に戻している。

ああ。またひとり死んじまったのか。

1枚目を拾った日は今でも覚えている。

終わったときには、もう引き返せなくなっていた。

日課のようにビターレモンとロールパンを買って、病院へ。

自動ドアをくぐると看護ロボがいて、病室まで案内してくれた。

『本日、除籍の通知が来ました。処分は別に行われる手はずです』

ロボットはカルテをモニターに表示して、状況を報告してくれた。

相変わらず”彼女”は手足を外された状態で治療室に横たわっていた。今日は容体が安定していたようで、表情もいくらか穏やかに見えた。

「処分の日取りは?」

『不明です。明日かもしれません、来年かも』

「任せる」

腕を組んで、治療室のガラスにひたいを当てる。

彼女の腹は半ばまで裂けていた。ガラス細工のような長い髪が、呼吸に合わせてそよいでいる。削れた肋骨の下では傷ついた人工肺がいびつなリズムで膨らんでは、また小さくなる動作を反復していた。

たまに剥き出しになった肩関節がひくひくと動くのが見えた。失った腕を痙攣させるみたいに。

残った胴体が清められているのだけが幸いだった。

『骨盤上のターンテーブルは問題ありません、脊椎の損傷も代替可能な範囲でした。ただしイレギュラーなパルスがときおり発振されるため、四肢は安全性を考慮して切除しました』

無機質な文字列が、僕がまばたきするたびに視界に表示される。

看護ロボは古いアンドロイドだった。声帯が無くて、プリセットで会話するようになっている。愛想のひとつも振りまけず、ひたすらタスクを実行するだけの人形だ。

だからマニュアル通りの動きしかできない。

明らかに、今の彼女には過剰な処置だった。

姿勢を安定させるためと言うが、塹壕に飛び込んだ榴弾を抱いてこうなったのだ。動けるような体力が今も残っているようには見えなかった。

『あなた方は軍人ですから』

僕の視線を読んだらしく、看護師が横に回ってきた。

高解像度レンズと柔軟なシリコンで構成された笑顔が、脅迫するように近寄ってくる。

『もしご命令とあれば、善処しますが』

その目に恐怖が宿っているのを感じた。

ここで僕が、きみは民生品だもんな、と言っても答えはないだろう。彼は思考の一部を出力しただけで、しかもそれは旧式機械にとって、大変エネルギーが要る行為なのだ。

「助かるか」

僕が尋ねても、看護師は応えなかった。

そのままじっとしていると、通信が入った。

『受容器官、および言語野の修復は不可能でした』

そうかと呟き、看護師の肩越しに、ベッドの部下へと目を戻す。

こうなることは予感していた。なまじ彼女が優秀だっただけに、楽観視を決め込んでいたのかもしれない。

数日後、彼女の遺品を整理することになった。

こっそり兵舎に持ち込んだコミックス、酒保で買ったキングのペーパーバック、裏表紙に落書きされた聖書……彼女がクエイカーということは、そのとき初めて知った。

最後に1枚きりのドッグタグだけが残った。

もらっていいか、と主計科のやつに訊くと構わないと言うので、カーゴパンツのポケットに放り込んだ。

これからの数十枚の、1枚目だ。

あと何人の自分がこれを見ることになるのだろう。

目を開けたとき、まず見えたのはビニルの天井。

アーチを描いていて、ときおり接続されたポンプから空気が流れてくる。ぴっちりと張ってあって、コインを落としたら月まで跳ねていきそうだった。

再圧チャンバーは、ハイテクになった鉄の肺そのものだ。

減圧症で沸騰した血液から泡を抜くために、高圧環境にダイヴァーを閉じ込める。ゆっくりと、深海の高気圧から、陸の空気へ。原理はシンプルで効果も絶大。僕のような人間もどきでも使える。

ちょっと手を顔にやって、目元が濡れているのに気が付いた。

もう夢なんて見ないと思っていたのに。

夢の中の彼女と違って手足はまだ付いていた。

シェルスーツは脱がされていた。あらわになった右の胸に痣があって、そこで銃弾が止まったのが分かる。早めに防弾プレートを入れていて正解だった。無かったら今ごろは失血死だ。

「やっと起きましたか」

横合いからシャノンの浅黒い顔が現れて、ポンプを止めた。

携帯式チャンバーのファスナーが下ろされると、肺から抜けた空気で喉がヒュウヒュウと鳴った。

「ああ……」

シャノンの目の下には、黒インクで塗ったように大きな隈ができていた。隣に立っているロックスも同じだ。

僕が13時間ぶりの飯を食うあいだ、彼らは何も言わずにライフルの照準を調整していた。

彼らが1発も撃たなかったのは、上がり切ったハンドルの位置で察した。僕を撃ったやつはさっさと逃げ出したらしい。ロックスが僕の視線に気付いて、片方の眉を上げる。

「どうして私を庇ったんですか」

「ダメだったか」

「いえ……」と反射的に言いかけたところで、彼女は頬を膨らませた。「そうですね、あれは悪手でした」

「だろうな」

「あなたを失った方がチームとしての損失は大きいんです。隊長としての自覚を持ってください」

損失か、とぼんやりと思った。

目の前で彼女がニューヨーク人らしい顔をしかめる。

この人も『千ドルベビー』だった――特に期待もされず、はした金で誰でも親権を買える量産型の子供たち。

死んだところで大した損失にはならない。どうせスナックを自販機で買うように替えが補充される。次のロックスは両目とも見えているだろう。

それこそ彼女のように。

「僕は古い人間でね」

意識して笑みを浮かべた。「それに、部下を助けて死んだ方が社会的評価が上がる」

「今、私はシリアスなんですが」

「この説明の方がきみの世代は納得してくれる。あれだ……『ナウい』だろ?」

シェルスーツを着込んでポーチを漁ると、砕けたセラミクス製の防弾プレートが出てきた。

「聖書だったら死んでいたな」

「敵は1人。下層に逃げ込んだようです」

シャノンが替えのプレートを渡してきた。彼は既にザイルを肩にかけて、下りる準備をしていた。

「非常階段は使えないのか」

「ブービートラップで封鎖されていました。エレベータシャフトなら降下できますが」

「じゃあ出発しよう。本当にスポッターは居なかったんだな?」

エレベータは通路を出てすぐ左にあった。

支点の強度確認も終わり、ロックスから順番に降下を始める。

ひと足下がるたびにぎちぎちとザイルが鳴って、はらわたみたいに垂れ下がったケーブルが背中を軽くたたく。エレベータのゴンドラはすぐ下の階層に止まっていた。天井を開けてみると、ゴンドラの中身は空っぽだった。

「行きます。ブリーチングをお願い」

ゴンドラに入ったロックスがライフルを構えて言う。

ハリガンツールを持ったシャノンがエレベータのドアをこじ開けるなり、彼女は外に飛び出して行った。

気が付くと周囲に空気の流れができていた。

エレベータシャフトから通路へと風が吹いている。通路を減圧しているらしい。

「クリア」

「了解」

ロックスを追ってエレベータを出ると、足が霜を踏んだ。壁にも一面に氷の結晶が張っている。

減圧どころじゃない。空気がぜんぶ抜かれている。

「……死体があります」

インカム越しに、ロックスが上ずった声でささやく。

「凍死体です。踏んだらその……割れました」

「クリアリングを続けろ。調査はこっちでやる」

「クリアリング続行、ウィルコ」

15メートルほど進んで、僕たちも死体を見つけた。6人の男性が戦闘服を着たまま倒れている。

「職員でしょうか」

「逃げるにしては重武装だ。クーデタかもしれない」

試しに1体をひっくり返す。

顔をフラッシュライトで照らした瞬間、思わず一歩引いた。シャノンも小さく声を上げる。

僕の顔だった。

凍った床には6体の僕が、氷漬けになって倒れていた。