その人骨は土くれにまみれて倒れていた。
「頭部に1発。弾はウィンチェスターです。倒した机を掩体にしていたところを、狙い撃ちされています」
シャノンが着剣したライフルで土を除けていく。カビと腐葉土の下からは裂けたケブラーのジャケットが現れた。首から上の堆積物も取り除くと、粗い粒の土くれがバケツみたいに詰まった頭蓋骨が見えてきた。
「骨も内臓も天然もの。無改造の人間を働かせていたんですかね?」
「施設内で発生させた新生児なんだろう」
前頭骨の縁は引きちぎられたように裂け、てっぺんの縫合に沿って黒ずんだ血の跡がこびりついていた。
残った上顎の歯はきれいに並んでいるように見える。まだ若かったらしい。
「いや。弾はシグの.277だ」
僕が言うと、シャノンは首を傾けてきた。ライフルを借りて、頭蓋骨を軽く回す。ずたずたの前半分と違って、後ろ側にはしっかりと骨が揃っていた。
「ウィンチェスターだったら後頭部まで貫けている。目方の軽い弾だったから骨に当たって砕けた」
「NATO規格ですか? その口径は聞いたことがありませんが」
「イギリスの特殊部隊向けに開発された弾丸だった。ニューヨーク市軍でも発足当時にいくつかライセンス生産して使っていて……」
ロックスが折り畳み式シャベルを持ってきたので、話を中断して残りの部分も掘り出すことにした。
しばらくして全身分が揃った骨を囲んで、持参したパック入りのスポーツドリンクを飲む。
人骨は成人男性のものだった。ジャケットの劣化具合から見て、死んだのは10年ほど前の話だろう。
「兵士ですか?」
ロックスが周りをうかがいながら言う。
「さあな」
「まさかこれが『超人兵士』じゃないですよね」
シャノンの方を見ると、彼は大げさに肩をすくめてみせた。
この娘は死体に慣れていない。僕は胸ポケットに手を入れ――タバコが無かったので代わりにスポーツドリンクで唇を湿らせた。
「軍曹、人間の野生状態でのライフスパンは何年か知ってるか」
「寿命のことですか」
「30年だ」僕はドリンクを下ろした。「そこでだいたい世代交代が完了する。逆を言うなら、親世代が30年は生き残らなければ次代に知識と経験が継承されない」
ネブラスカを占領したとき、老人と子供しか残っていなかった町を思い出す。
あの場所はきっと次の干ばつで滅んだだろう。
「……躍起だった。虫と魚は世代交代を重ねて環境に適応しているのに、哺乳類連中ばっかり取り残された。ヒトゲノムの編集が許可された頃には、動物園もほとんど紙に描いたハリボテだらけって有様だったんだ」
そのヒトを改良する道のりも決して楽なものじゃなかった。
30億ビットの塩基対をコーディングするのは、砂粒を積み上げて超高層ビルを建てるようなものだ。慣れれば『それっぽい』ものは作れても、量産に堪えるコードには程遠く、数十体も複製するとすぐに奇形児まみれになった。
『レガシィ』が最後に送ってきた成果だって、発生過程で不調を起こした臓器を人工物に置き換えてどうにか実用レベルになるようなものだった。とても超人兵士を作る余裕があったとは思えない。
「じつは、地球最後のマッコウクジラを食べたことがある」
僕は笑った。「浜に打ち上がってて、精液鯨って名前通りひどい臭いだった。でも、あのときは食うしかなかったし、その結果として僕は生き残った」
「えっと……はい?」
「連中よりは運が良かったって話さ。絶滅する前に何度もサイコロを回して、我々だけはどうにか『当たり』を引くことができた……これでも当たりだったんだよ。それ以上は存在しない。『超人兵士』もな」
その後、頭蓋骨を検めているとやっと弾頭が出てきた。
脳の中を泳ぐうちにすっかりグシャグシャに潰れていて、正確な口径は分からない。それでも握ったときの感触は間違いなく重量135グレインの.277弾だった。
アパルトマンに掛けていたライフルと同じ弾。こいつを撃ったのも、きっと僕と同じ生き残りだろう。
「……当たり、か」
『オーガスト』という男の遺伝子は頑丈で、よくクローンが作られていたそうだ。
僕が初めて他の『オーガスト』を殺したのはフランスだった。
当時の僕はCNRSの警備員で、『彼』はイギリスのMI6のエージェントだった。
恐らく、スパイとして彼の振る舞いは完璧だった。ただ通行証を通すとき、一瞬だけまごついたのが致命傷になった。
僕は拳銃を引き抜いて即座に射殺した。
ちっぽけな9ミリ弾は彼の気道を周りの肺胞道ごとずたずたに引きちぎって、脊柱に沈み込んだところで止まった。出血は少なく、死ぬまでには少し猶予があった。彼が大理石の床に伸びて、薄い胸からとくとくと白い人工血液を流すのを見つめていると、向こうも僕を認めた。
「『しまった』とは思った」
というのが、彼の第一声。
イギリスの諜報部が用意したボディは旧式で、外観をラテン系の女性に偽装してあった。正規品よりも前腕の比率が大きいせいで、指先の距離感を見誤ったのだろう。
彼の横に屈むと、ハーネスに差したマシンピストルが見えた。
「依頼されたのはDNAバンクか? それともワクチン?」
僕が頬をグリップではたくと、彼は片目を閉じてこちらを見た。
「守秘義務だ」
「どうせ死ぬ。話した方がいい」
「なぜレディスミスを使っている。MP7くらい支給されたはずだ」
「あの鉄砲は人間様専用だ」
「ああ……こっちもグロックだしな。3階で手あたり次第殺すことになっていた」
「守秘義務だったのでは?」
そうだったな、と彼は角砂糖のように白い歯を見せた。
「あと2秒遅かったら、こっちが撃ってた」
「でも今、死にかけているのはきみだ」
「そう。状況のせいだ。逆ならきみが死んでいる」
彼が数度まばたきをすると、喉からうがいをするような音が立った。
唇から白い血がひとすじこぼれて、細い気道が塞がったのが見て取れた。
上の階では撃ち合いが始まっていた。別動隊がいたらしい。
ぱらぱらと階段を跳ねる薬莢の音を聞きながら、『僕』たちは見つめ合う。
彼の唇が動く。さよなら、と言ったのかもしれないし、捨て台詞を吐いたのかもしれない。どのみち気が付けば死んでいた。
あの事件で生き残った僕も、2ヶ月後にテロに巻き込まれて死んだ。
感覚器からのシグナルは死ぬ瞬間までサーバー側でモニタリングされ、最新版の僕には120人分の『オーガスト』の記憶が詰まっている。
120回死んで分かったのは、どんな訓練も才能も、死ぬ確率をゼロに近づけることは出来るが、死ぬときはどうしようもなく、あっさり死ぬということだけだった。
「隊長」
枯れた大樹を見上げていると、ロックスがカロリーバーを持ってやって来た。
「ああ。ありがとう」
僕がフルーツ味のバーにかじりつくあいだ、彼女はシェルスーツに手を入れて胸を掻いていた。
この人もいかにもな戦後生まれらしい女の子だと思う。
不快にならない程度に醜くなく、嫉妬されるほど美人でもない『ニューヨーク顔』。そういう個性を潰されたパーツのモンタージュ。唯一、傷ついた目を覆う眼帯だけが個性を主張している。
「どうされました」
「その眼帯、自分で選んだのか」
「まあ、はい。病院のやつってダサいんで」
「良いセンスだ」
微笑もうとしたとき、視界の隅で何かが光った。
考えるより先に、ロックスの身体を突き飛ばしていた。彼女の見開いた目が視界をスライドしていく。
ぱっと短いフラッシュが焚かれた。
次の瞬間には胸に燃えるような.277の弾頭が突き刺さっていた。
もどしそうになる不快感が腹から喉にせり上がる。遅れてやって来た苦痛が脳を蹴りつけて、意識が剥がれていく。
隊長、という叫び声だけが耳に何度もこだました。